依存症からの回復研究会とは
依存症からの回復研究会は、2007年に79才で没したAAメンバー、ジョー・マキューによる12ステップのプレゼンテーションを伝えることで、各種12ステップグループの仲間の回復を支援します。
・12ステップの書籍の出版
・12ステップによって回復した人の経験の紹介
・依存症からの回復研究集会の開催(年1回)
・アディクション・セミナーへの参加
ジョー・マキューの回復
アメリカのアーカンソー州に住んでいたジョーは、自分がアルコホーリク(アルコール依存症者)だと認めたものの、あらゆる手を尽くしても酒をやめられずにいました。1962年3月10日、彼は州立の精神病院に自ら入院し、そこで彼はアルコホーリクス・アノニマス(AA)のメッセージと出会い、AAに助けを求めました。
しかし、まだ人種差別が激しかった時代、黒人がAAで歓迎されたとは言えません。だから彼は自分からAAグループを作り、ビッグブックから12ステップを学んでいきました。何より彼は自分自身が助かりたかったためです。
ビッグブック・スタディ
およそ10年後の1973年、ジョーはアラノンの大会で、白人AAメンバーのチャーリー・Pと出会いました。二人はすぐに親友になり、ビッグブックについて話し合うためにしょっちゅう会い、お互いの家を訪問しました。
二人はAAのコンベンション(大会)のたびにホテルの一室でビッグブックのミーティングを開くことにしていました。その二人の話が録音され「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」という4本組のカセットテープとして、徐々にAA全体に広がっていきました。
全米へ、そして世界へ
1980年にはニューオリンズでAAの国際大会が開かれ,、この時あるメンバーが、ビッグブック・スタディのテープを100セット無料で配りました。その結果、その後2年で爆発的に招待が増え、ジョーとチャーリーはスタディのプレゼンテーションを世界中で行いました。この二人のセミナーが、多くのAAメンバーの心の琴線に触れたことは明らかです。二人は1939年4月出版の『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に書かれた「このメッセージ」を蘇らせたのでした。
二人のセミナーは繰り返し録音され、テープやCDとして多くの人の手に渡りました。1977年以来、20万人のAAメンバーがこのスタディから霊的な恩恵を得たと推計されています。
そして、依存症からの回復研究会へ
ジョーの体がパーキンソン病に蝕まれるにつれセミナーが行われる回数が減り、チャーリー・Pの死とともに「スタディ」のセミナーが行われることは無くなってしまいました。
そして2007年10月25日、大変残念なことにジョーはこの世を去りました。
しかしジョー・マキューが残したものは「スタディ」の録音テープばかりではありません。彼はチャーリーとの共著、あるいは単独で数冊の本を著しています。彼の運んだメッセージに触れるために残された貴重な手段です。
依存症からの回復研究会は、2006年に単身アメリカに渡り、生前のジョーと親交を結ぶことができた日本人AAメンバーが発起人となり、ジョー・マキューによる12ステップのプレゼンテーションを日本に広く紹介することを目的として結成されました。AAに限らず様々な12ステップグループのメンバーや、回復の支援者が構成メンバーとなっています。その努力は2007年に『ビッグブックのスポンサーシップ』(通称緑本)の出版となって実を結びました。
さらに2008年には『回復の「ステップ」』(通称赤本)を出版、2011年にはジャパンマックから『プログラム フォー ユー』が出版されました。2013年には一般社団法人セレニティ・プログラムから『12ステップ・ガイドブック』が出版されました。さらに2014年には『ドロップ ザ ロック』が出版されました。
回復研究会では年一回の研究集会を開き、ジョーのやり方に従って12ステップに取り組んだ人の経験談を分かち合っています。また各地のアディクション・セミナーやアディクション関係の学会に参加し、ジョーのメッセージを伝えています。
もしあなたが12ステップによる回復に関心を持っているのなら、ぜひジョーのメッセージに耳を傾けて下さい。「大丈夫、きっとうまくいく」('It's gonna be okay')。それがジョーが私たちに残してくれた言葉です。だからあなたも大丈夫、きっとうまくいきます。一歩踏み出しましょう。
一般社団法人セレニティ・プログラム
ジョーのリカバリー・ダイナミクス(RD)の開発者としての功績は、
一般社団法人セレニティ・プログラム
にて扱っています。ぜひあわせてご覧下さい。