回復研は各種12ステップグループの仲間の回復を支援しています

依存症からの回復研究会とは

 依存症からの回復研究会は、2007年に79才で没したAAメンバー、ジョー・マキュー(Joe McQ)による12ステップのプレゼンテーションを伝えることで、各種12ステップグループの仲間の回復を支援します。

  ・12ステップの書籍の出版
  ・12ステップによって回復した人の経験の紹介
  ・依存症からの回復研究集会の開催(年1回)
  ・各地のアディクション・セミナーや関連の学会への参加

ジョー・マキューの回復

 アメリカのアーカンソー州に住んでいたジョー・マキューは、自分がアルコホーリク(アルコール依存症者)だと認めたものの、あらゆる手を尽くしても酒をやめられずにいました。1962年3月10日、彼は州立の精神病院に自ら入院しました。当時は人種差別・男女差別が激しく、白人男性向けの治療施設は整っていたものの、ジョーのような黒人に用意されていたのは劣悪な州立精神病院のみでした。(そして女性のアルコホーリクが入ることができたのは刑務所だけでした)。

 彼は院内のアルコール・ミーティングに参加するように誘われましたが、どうせ今までにさんざん聞かされてきたアルコールの害についての話をまた聞かされるだけだろう、と渋っていました。しかし、会場でコーヒーと上質のタバコにありつけると聞いて出席する気になりました。会場の話も彼の予想とは違っていました。こうして彼はアルコホーリクス・アノニマス(AA)※1のメッセージと出会い、AAに助けを求めました。

※1 アルコホーリクス・アノニマス(AA):アルコホリズム(アルコール依存症)から回復したい人のための集まり。1935年に二人のアルコホーリクによって作られ、メンバー数は現在200万人以上。

 しかし、まだ差別が激しかった時代、黒人がAAで歓迎されたとは言えません。ジョーは、AAミーティングの始まる直前にやってきて、終わったらすぐ帰るように、そして会場のコーヒーには手を付けないように言い渡されていました。個人的に面倒をみてくれるメンバーもいませんでした。「1962年のリトルロックは黒人が助けを求めるには決して良い場所ではなかった」とジョーは後に語っています。それでも、彼は回復への努力を惜しみませんでした。

 だから彼は自分でAAグループを作り、ビッグブック※2から12ステップ※3を学んでいきました。何より彼は自分自身が助かりたかったためです。

※2 ビッグブック:AAの基本テキスト。回復のための12のステップを説明している。
※3 12ステップ:AAが作った回復の手段。現在では、アルコール以外の様々な依存症やその他の問題のグループでも使われている。

ビッグブック・スタディ

 およそ10年後の1973年、ジョーはアラノン※4の大会で、白人AAメンバーのチャーリー・Pと出会いました。お互いビッグブックに強い関心を持っていることが分かると、二人はすぐに親友になり、この親交は生涯続きました。彼らはビッグブックについて話し合うためにしょっちゅう会い、時には車を運転して225マイル(360Km)の道のりを越え、お互いの家を訪問しました。

※4 アラノン:アルコール依存症者の家族の集まり。AA同様に12ステップを使っている。

 二人はAAのコンベンション(大会)のたびにホテルの一室でビッグブックのミーティングを開くことにしていました。このミーティングが人々の評判を呼び、ある参加者が二人をホームグループに招いて話をしてくれるように頼みました。その時の二人の話が録音され「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」という4本組のカセットテープとして、徐々にAA全体に広がっていきました。そうして、二人はAAのコンベンションやラウンドアップでこの「スタディ」を披露するように頼まれるようになりました。

全米へ、そして世界へ

 1980年にはニューオリンズでAAの国際大会が開かれました。この時、1,500人の昼食会を企画したメンバーが、ビッグブック・スタディのテープを100セット無料で配りました。その結果、その後2年で爆発的に招待が増え、ジョーとチャーリーは「スタディ」のプレゼンテーションを世界中で36回行いました。この二人のセミナーが、多くのAAメンバーの心の琴線に触れたことは明らかです。二人は1939年4月出版の『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に書かれた「このメッセージ」を生き生きと蘇らせたのでした。

 「スタディ」は全米の48州とカナダのほとんどの州で行われました。それだけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、イングランド、スコットランド、アイルランド、ドイツ、スイス、スウェーデンの各国でもジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディのセミナーが開かれました。
 二人のセミナーは繰り返し録音され、テープやCDとして多くの人の手に渡りました。

 この成長物語もすべてが順調だったわけではありません。スピリチュアルな旅に障害はつきものです。あるAAメンバーはこの二人を「自称グールー(権威者)」と呼びました。また別の人は、週末ごとに金を稼いでいると彼らを非難しました。セミナーを主催していたのは実際には彼らと関係のないAAの委員会で、二人が受け取ったのは交通費と食費と宿泊費だけだったにもかかわらずです。これはAAのゼネラル・サービス・オフィスが発行している『カンファレンスとコンベンション』のガイドラインに沿ったやり方でした。1977年以来、20万人のAAメンバーがこのスタディから霊的な恩恵を得たと推計されています。

そして、依存症からの回復研究会へ

 ジョーの体がパーキンソン病に蝕まれるにつれ「スタディ」が行われる回数が減り、一時期はヤング・ジョー(Joe McC)や他の後継者が代役を務めたこともあったものの、チャーリー・Pの死とともに「スタディ」のセミナーが行われることは無くなりました。
 そして2007年10月25日、大変残念なことにジョーはこの世を去りました。

 しかしジョー・マキューが残したものは「スタディ」の録音テープばかりではありません。彼はチャーリーとの共著、あるいは単独で数冊の本を著しています。彼の運んだメッセージに触れるために残された貴重な手段です。

 依存症からの回復研究会は、2006年に単身アメリカに渡り、生前のジョーと親交を結ぶことができた日本人AAメンバーが発起人となり、ジョー・マキューによる12ステップのプレゼンテーションを日本に広く紹介することを目的として結成されました。AAに限らず様々な12ステップグループのメンバーや、回復の支援者が構成メンバーとなっています。その努力は2007年に『ビッグブックのスポンサーシップ』※5(通称緑本)の出版となって実を結びました。

※5 スポンサーシップ:一対一で12ステップを新しい人に手渡していくやり方。

 さらに2008年には『回復の「ステップ」』(通称赤本)を出版、2011年にはジャパンマックから『プログラム フォー ユー』が出版されました。2013年には一般社団法人セレニティ・プログラムから『12ステップ・ガイドブック』が出版されました。さらに2014年には『ドロップ ザ ロック』が出版されました。
 回復研究会では年一回の研究集会を開き、ジョーのやり方に従って12ステップに取り組んだ人の経験談を分かち合っています。また各地のアディクション・セミナーやアディクション関係の学会に参加し、ジョーのメッセージを伝えています。

 もしあなたが12ステップによる回復に関心を持っているのなら、ぜひジョーのメッセージに耳を傾けて下さい。「大丈夫、きっとうまくいく」('It's gonna be okay')。それがジョーが私たちに残してくれた言葉です。だからあなたも大丈夫、きっとうまくいきます。一歩踏み出しましょう。

セレニティ・プログラムの紹介

 依存症からの回復研究会では、AAメンバーとしてのジョー・マキューの功績を紹介しています。回復施設セレニティパークの創始者として、また12ステップを効率的に伝えるリカバリー・ダイナミクス®(RD)の開発者としての功績は、

にて扱っています。ぜひ上記サイトもあわせてご覧下さい。

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